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心に響くもの

祖父との対話

   

祖父との対話先日、親戚の集まりに参加して、祖父母のお墓参りに行ってきた。
親戚と集まるのも久しぶりだけれど、お墓参りはもっと久しぶりのこと。あまりにも期間が空きすぎていたので、行かなければと思っていた折に、従兄弟からのお誘いも相まって追善供養に伺ったのでした。
今回の記事は、自分の祖父の話なので読んでも面白くありません。親戚及び自分のための覚書のようなものであることを前置きしておきます。

絶えざる緊張の哲学の夢破れ、悲観と断念と再考とが思想の上に萠して来て、やがて思想が変わる……というような事を考えてみる。変わった思想をふりかえってみると、妙に俗っぽい、考えた挙句自分が人間並に堕した事を発見する。自分の力を過信した結末は、闘争の敗北となり、人間は人間だけの事しか出来ぬという事になり、今まで貶していた人間の真似をする。そして、それを是認し理論化し、正当の理由の発見に努める。そんなことを一寸想像してみた。

この小難しい文章を書いたのは、僕の祖父。
祖父は、僕が生まれるずっと昔に亡くなっているので、“お爺ちゃん”という存在でありながら、どこか遠い先祖という印象が強かった。僕の母の“父”なのだから、血筋は近いのだけれど、やはり一度も会ったことがないのだから、写真の人という枠から抜け出すことはなかった。

これまでにも何度か、母から祖父の話はきいたことがある。その印象では、真面目で、頑固で、愚直な人だったということ。毎日決まった時間に帰宅して、囲碁を打っているか哲学の本を読んでいるという生活をしていたらしい。会社の付き合いで飲みに行くことなども無かったようだ。他人に左右されない性格で、ある意味では信念の強い人。別の見方をすると、他人に合わせることができない不器用な人。

「見た目もごつごつしてるし、馴れ合いの付き合いをする人じゃなかったから、周りからは取っ付きにくいと思われていたかもね。人付き合いが下手だから、誤解されることも多くてねぇ」というのが母の言葉だった。

祖父との対話

先日の集まりで、叔父さんにも、祖父のことを尋ねてみたけれど、やはり、「一人でいることが多い人だったね」という。子供が小さいときでも一緒に遊ぶようなこともなかったし、とにかくあまり喋らない人だったらしい。一緒に何かをしたといえば、囲碁を打ったことくらいのようだ。親子でありながら、どういうことを考えている人なのか、よく分からなかったのだという。
だけれど、祖父は筆まめな人だったようで、歌を詠んだり日記を書いたり、いろいろ文章を残していて、それを読んで、「ああ、こういうことを考えていたのか」と、そこでやっと解る人だったそうだ。
きっと、自分の基地を、他人の手の届かないところに置いておきたい人だったのだろう。

その書き残した文章が、「本になっているので、それを読むとどんな人か分かるよ」とのことだった。祖父が死んだあとに、祖母が編集して本にしたのだという。早い死だったこともあって、なにか形に残しておきたいという想いが強かったのだと思う。
そんなわけで、そのような本があることを知ったので、早速母から借りて読んでみた。

その前に、祖母のことを説明しておくと、寡黙な祖父とは対照的に、よく喋る人だった。交友関係も広く、いろんなところに友達がいて、しょっちゅうお喋りしに出かけていたような記憶がある。
書道家をしていて、どちらかといえば感性で生きている、開けた人だったと思う。きっと、感性の妻と理性の夫で、相性も良かったんじゃないのかな。
そう、祖父は、どちらかといえば理性的な人だったのだと思う。
かといって、想像力が乏しかったわけではなくて、登山やキャンプが好きだったようなので、きっと感性や感覚的なものも強かったはずだ。
きっと、感覚的にいろいろ拾いながら、理性的に解釈していく人だったんじゃないかと、僕は想像している。

学生時代は山岳部。社会人になってからも登山や、スキーやキャンプに出かけていたようだ。
日記の文を読むと、仕事に忙殺されて腐った様子が窺える。

僕のような凝り性は一ヶ月都会の沈滞した空気を吸っていると、どうしてもよくない。すぐに肩がこって仕事が嫌になったり、勉強が出来なくなったりする。これは気分ばかりの問題じゃない、肉体的な問題だから少々厄介だ。困ったもんだよ。
ところが山へ行くと妙に健康が回復する。唯、人なきをうらむのみだ。今月はまだ一回も登らない。相当くさってきた。願わくば日曜よ天気なれ。

東京の空気が合わないと思いながら、祖父はずっと東京に暮らしていた。
子供が六人もいた(つまり僕の叔父と叔母が六人)のだから、そう簡単に職を変えて引っ越すこともできないし、転職をすることがあまり一般的ではない時代だったかもしれない。
それにしても、生まれも育ちも都会の僕が、都市の空気で疲れやすいのは、この遺伝子のせいかもしれない。と勝手に、お爺ちゃんのせいにしておこう。

祖父との対話

失業中の友人に当てた手紙には、このように書かれていた。

君は四十で敗亡処ではない。七転八起とも言い、人生は五十からとも言う。大いに元気を出してくれ。それに君は妻子はなし、その点今となっては却って勝者かもしれない。僕なども子供が出来すぎて失敗した。子供の無心な顔を見ると大いに頑張らねばならぬという気がする。
今は国民全部が耐え切れないほどの重圧に喘いでいる時だ。羽振りのよい連中の姿は羨ましくも大きく目に見えるが、人数にしてみれば極く一小部分であろう。我々は天から降ってるような僥倖を期待してはならない。僕は地道に進む方針である。

ここでは、失業中の友人を励ますように書かれているが、お爺ちゃん自身も、一度失業している。
人に懐かぬ性格から、上司と反りが合わずにリストラの対象になってしまったようだ。正確には、自分から辞めたようだが、辞めざるを得ない状況に追い込まれていたらしい。
その後、向いていないと分かっていながら、独立して事業を営むことになる。きっと、本人も、お婆ちゃんも、そうとう苦しい思いをしたんじゃないかと思う。
戦前から戦後間もない時代なので、誰しも苦労はあったと思うけれど、なにしろ、お爺ちゃんは世渡りの得意なタイプとは程遠い。
友人に宛てた手紙に、苦労話が綴られていた。

僕は整理されてから始めて身の振り方を考えはじめたのだが、思えばのんきなものだった。中年になってから誰もつかってくれるものもないので、小さく事業を始める事とし、同時にやめた課長級二人で取りかかった。その後今まで何だかんだとロスばかり多くて弱っている。

いくら無謀でも乗り出した船だ、倒れるか乗り切るか、最後までやってみようと決心している。世間は冷たいが、妻の母なども大いに心配して僕のために無理して金融の道をつけてくれたり、何とかして成功させたいと努力していてくれる。此の努力に対しても僕は成功しなければならぬと考えている。

世に活きる厳しさを、これほど身をもってひしひしと感ぜさせられるとは予想しなかった。併し悲観ばかりはしていない。将来に対して、そこはかとなき明るさも感じている。

君は僕を線が太いというが大いにそうではない。も少し太い線が欲しいとさえ思う。事業をやるには無神経ほどの大胆さが必要のようだ。それを思えば僕はまだまだ小心である。一つには経験がないからスポーツでいう試合度胸がないのと、一つには天性の固苦しさによるものである。此の乗るか反るかの経験をすれば、僕の人間もいくらか世間じみてくるだろう。

今は修業中であると考えている。此の修業を早く卒業したいとも考えている。君も僕の事業が成功するように大いに祈ってくれ給え。そしてお互いに今日の窮況を脱却して、ゆっくりと懐旧談に花を咲かせたいものである。

この手紙のやり取りをしているのは、いつも同じ人が相手だった。どうやら、学生時代からの親友のようだ。お互いに、歴史や哲学に関心を持っていた人なので、難しいことを言い合って、お互いを高めあい励ましあっていたのだろう。
お爺ちゃんの性格では、交友関係は広いほうじゃない。狭くて深いタイプだ。
手紙には、これだけ書いているけれど、家族にもほとんど喋らなかったというのだから、そうとう仲の良い人にしか、内側にあるものは見せられなかったようだ。

厚い壁と開かない扉は、寄ってくる人を跳ね返す。
でも、例えば、今、お爺ちゃんが生きていたとしたら。
まだ元気なお爺ちゃんがいたとしたら。
僕はどうだったかな、と考える。

なんとなく、同じ世界を共有できたかな、という気がする。
もしかしたら、お互いにほとんど喋らないかもしれないけれど、空気の合う人な気がした。

この世とあの世の境目を解いて、心の行き来をするというのは、こういうことなんじゃないだろうか。
僕は、魂だとか、あの世からの声だとか、死者の存在を、あまりオカルトの意味で使うことはない。けれど、本を読めば、確かに存在を感じる。
この本を読んでいるあいだは、まるで自分がお爺ちゃんの人生を追体験しているようだった。
極論をいってしまえば、人は人のなかに存在することになる。死者に対しては、思い出すことが一番大事なことなんだ。

時という奴は実に偉大な力の持ち主だ。苦しかった事、悲しかった事、嬉しかった事迄、如何に精練されて心地よい思い出となる事だろう。どうにもならぬと思った事がどうにかなっているから不思議だ。ほんとにどうにもならぬ境遇も確かにある訳だが、そこに達するまでに、戦う余地が考えているより大きいものの様に感ずる。我々は一寸つまづいても絶大の苦痛のように考えたり、乗るかそるかの分かれ目だと思ったり、此の先どうなる事かと心配したりするのじゃないだろうかと考えるようになった。人間はどんなに落ちぶれても闘えるものだ。
君の苦戦、同情は禁物だろう。併し我々は共に人生という大海を航する僚船でありたい。勿論、君に当たる浪と、僕に当たる浪とは大いに異なる訳だが。

やはり人間には進歩が必要だ。無意識と平凡は、先ず人生から取り除かねばならぬ。やっぱり人生は君もいう通り難しいものだ。併し僕は、苦は矛盾を解決せんとする意志に伴って現われるといった君の言葉が気に入った。お互いに泣き言いわずに頑張るとしよう。

お爺ちゃんの事業は成功しなかった。
しかし、事業には失敗してしまったけれど、元の会社に戻れることになった。不仲だった上司は退職し、復帰の誘いを受けたのだ。これで、お婆ちゃんも一安心。生活が楽になる。と思ったはずだ。
だけれど、この復帰の後に、お爺ちゃんは“ホジキン氏病”にかかってしまう。当時は、不治の病といわれた心臓の病気だ。
入院と通院を一年間くりかえし、60年の人生に幕を閉じた。
病に倒れるまで、這いながら仕事には行っていたそうだ。

お疲れ様でした、お爺ちゃん。

この一連の私的な文章を、ブログに晒すのは如何なものか。とも思った。
けれど、自分が会ったことのない祖父に、本を通して会ったことを、昇華するには、これぐらいしか思い浮かばなかった。

どうか、どうか、怒っていませんように。
孫のやったことだから、許してちょーだい。

 - 日常

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