生誕100年を記念して開催された、「岡本太郎展」を見てきました。
僕は、岡本太郎のことをリアルタイムではほとんど見ていなくって、過去の映像や著書でしか知りません。
それ故に、なのかもしれませんけれど、本のなかの強烈な言葉や、あの特異な唯一無二のキャラクタが、作品に顕れていないようにも感じました。つまり、本人のほうがもっと面白そうだな、という印象。そういった意味では、宮崎駿とも重なります。
アーティストは自分の内面を具現化していくものだけれど、己を超えるような「何だこれは!」は無かったよう感じます。
率直な感想を書くとこうなってしまうわけですが、では、期待外れだったのかというと、そうとも言えなくって、
ここで大切なのは、岡本太郎の意思を汲み取るということだと思いました。そういった視点でいうと、見終わったころには、とても良い感じに神経が刺激されるミュージアムなのでした。
油彩を中心に、写真、彫刻、商業制作物など、多彩な作品で岡本太郎の仕事が紹介されています。
なかでも彫刻作品は、強烈にライトアップされているので、光と影の陰影がより一層際立って、力強さが増していました。
原爆炸裂の瞬間を描いた、「明日の神話」の下絵も展示されていました。燃えながら踊る人びと。笑う骸骨。これを見ていて、思ったのは、やっぱり、岡本太郎だったら、今回の震災に何を言うのだろう、ということ。
破壊を乗り越える、人間の誇り。
原爆を作ったのも人間だけれど、それを乗り越えて、未来をつくるのもまた人間。
彼は、原爆を哄笑して吹き飛ばそう。と表現した人です。
そんな岡本太郎の意志が、必要なときになりました。
これまでにない災害に、僕らの心は、かつてないほど打ちのめされています。既に、これ以上ないほど頑張っている人たちや、頑張りようがなくなってしまった人たちに対して、「頑張れ」という言葉は過酷なもの。そのなかで、岡本太郎の作品のように、静かに力強く佇むその姿は、勇気が湧くんじゃないだろうか。
不幸は苦しい。笑っていればなんとかなる、とは言えないけれど、笑うことが力になる。笑っちまえ。岡本太郎からは、そんなメッセージが感じられます。
思い返してみれば、宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」でも、津波によって被災した人たちが、漁船に乗って元気よく救出にいくシーンがありました。
あのシーンについて、駿監督は「そういう時でも、みんな明るく元気さを失わずにいてほしい。多くの困難や苦しみはあっても、もう一度、人が住む、もっとより美しい島にしていく努力をする甲斐のある時だ」と語っています。
岡本太郎と宮崎駿は、同じメッセージを発していたのでした。