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心に響くもの

犬との暮らし

日本テリアはどんな犬なのか

投稿日:2010 年 9 月 23 日

前回のエントリを書いていて思い出したので、また犬の話。
サニィの父親は、日本テリアなんだけども、この日本テリアがいま絶滅の危機にあると言われていることは、あまり知られていないと思う。というか、僕も最近まで知らなかった。
そもそも、日本テリアの知名度が低いので、どんな犬か知らない人も多いかもしれない。
イタリアン・グレーハウンドのことを知ってる人は多くても、日本テリアはほんとうに知られていない。「日本にテリアはいなんじゃない?」なんてことを言われることもあるくらいだ。日本犬のなかでも、最も知名度が低い犬種のひとつと言われているのだから仕方がないことではあるけれど。
しかし、もう少し人気が出たって良いじゃない、と思えるような可愛い犬なのだ。
たしかに、柴犬のように大昔からいた犬ではないけど、日本テリアだってそこそこ歴史のある犬である。

系統は、具体的には不分明。 1700年代に、オランダから長崎に渡来したスムース・フォックス・テリアを祖として小型の在来犬を配し、後に神戸で改良したものであるという。
ただし、スムース・フォックス・テリア自体、犬種としての固定は1862年ごろまで下るので、伝えられる年代が正しいとすれば、厳密にはスムース・フォックス・テリアではなく、その原種犬が日本テリアの先祖ということになる。
ほかに、トイ・マンチェスター・テリア、イタリアン・グレーハウンド、トイ・ブル・テリアなどの血が入っているのではないかとも考えられる。

日本テリア

見た目は、イタリアン・グレーハウンドやミニチュア・ピンシャーと同じような体形をしている。こちらの二頭は知名度も高くて、絶滅には程遠い人気をもっているし、ブリーダーもたくさんいる。公園へ散歩に行けば会えるような犬種である。
しかし、日本テリアはほんとうに少なくて、実際に見たのは一度しかない。出産件数も、年間役40頭と極端に少ないのだから、そりゃあ見ないはずだ。
昭和初期には、一時的なブームで、かなり多くの繁殖が行われていたようだけれど、太平洋戦争後は国の貧しさからなのか、ブームも去って、絶滅の危機をむかえていたらしい。そして、そのまま現在も人気は回復していないようだ。

日本テリア

イタグレやミニピンと似たような犬なのに、なんでこんなに人気がないのだろうか。細身の犬種が好きな人だったら、絶対気に入りそうなものなのに、ほんとうに不思議だ。
もしかしたら、飼いづらい犬なのかと思ったけれど、オーナーさんのブログを見ていると、そうとも思えない。
元気の良いタイプだろうけど、そりゃあイタグレやジャックラッセルだって同じこと。
漫画やテレビかなんかで取り上げられたら、一気に人気が出るのだろうけど、そこまでいくとまた、シベリアン・ハスキーやミニチュアダックスのごとく無駄な繁殖が行われ、飼育放棄が繰り返されるので、決してブームにはなってほしくないと思いつつ、絶滅しない程度に人気が出たら良いのにな、と陰ながらひっそりと応援しているのでした。
日本原産のテリア犬が、滅んでしまうのは勿体無いからね。

日本テリア

自分は雑種と暮らしておきながら言うのも、なんなんですけども。
 
 
日本テリア誕生の年表

1913年(大正2年) 「クロ号」誕生。ブラック・エンド・タン・テリアの雑種。
神戸テリアのメスと交配され、多くの短毛テリアの系統を生む。
1914年(大正3年) 第一次世界大戦(1918年まで)
1918年(大正7年) 中央畜犬協会設立。日本初、民間畜犬団体。
1919年(大正8年) 4月、須磨で開催された全国畜犬共進会に、フォックス・テリア種として、「シロ号」という若い牡犬が多大の絶賛を博した。
「シロ号」は「クロ号」の子
1923年(大正12年) 関東大震災
1925年(大正14年) ラジオ放送開始
1927年(昭和2年) 金融恐慌
1928年(昭和3年) 日本犬保存会設立。

明治以降、様々な西洋犬が輸入された。鳥猟犬のセター、ポインターなどの西洋犬を飼うことが一種のステータスシンボルとなったが、純粋種は高嶺の花であって、一般庶民では雑種が代用として飼われていた。
日本では犬種を保存することには関心がなかった。秋田犬はより大型な犬を作るため、土佐犬はより強い犬を作るため、雑種が作られたりした。日本古来の純粋種が存亡の危機にさらされた。
そこで、渡瀬庄三郎博士(東大)は日本犬の純粋性の保護、存続を訴えた。この運動に斎藤弘(斎藤弘吉)、中根栄(盲導犬の命名者)、平岩米吉(雑誌「動物文学」主幹)らが同調して日本犬保存会を設立した。
この運動の成果により、後の年表にあるように日本犬は天然記念物に指定された。ただ、この中に狆は入っていない。
社団法人日本シェパードクラブ設立。

9月 恵美須町の国技館の空き地で開催された全国畜犬共進会で短毛のテリアが出品された。
昭和3年及び4年は、日本テリアの歴史に於いて、きわめて有意義な年であった。著名な種犬が一斉に生まれたため、独立した新犬種として一大飛躍を試みる素地を築いた。

1929年(昭和4年) ニューヨーク株式大暴落。世界恐慌始まる。

大卒の就職難深刻化。東大卒でも3割しか就職できなかった。翌年は農村危機、失業者30万人などの暗い記事が多い。

1930年(昭和5年) 昭和5年、6年の2ヶ年は、日本テリアブームになり、昭和7年には、このテリア熱が爆発、日本テリアの繁殖や売買譲渡が投機化するに至った。
1931年(昭和6年) 雑誌「少年倶楽部」新年号に「猛犬連隊のらくろ」初登場。以後10年間連載された。

7月 秋田犬が天然記念物の指定を受けた。
甲斐犬愛護会設立。

9月 満州事変が勃発。軍用犬の活躍が新聞・ラジオで報道される。

1932年(昭和7年) 社団法人軍犬協会設立。

軍用犬としてジャーマンシェパードドッグ、ドーベルマン、エアデールテリアが指定された。指導手を育成するとともに民間にも飼育を奨励した。1935年、昭和10年の愛犬誌「ドッグ」の記事、昭和9年民間畜犬飼育数によると、東京府内における飼育頭数は41741頭、ジャーマンシェパードドッグは1812頭で、純粋種のトップだった。残念ながらこのリストには日本テリアはない。

日本テリア倶楽部設立。初代会長は田村菊次郎さん。
日本テリア倶楽部と前後して、九州に福岡テリア同好会が結成された。以後、全国に日本テリアクラブが誕生。一方で、日本テリアの繁殖や売買譲渡が投機化する

3月 満州国建国宣言。

5月 5.15事件。
7月 ドイツでナチス党が第一党になる。
10月4日付東京朝日新聞に「忠犬ハチ公」の記事が載る。

以後、忠犬ブーム。昭和9年4月21日に渋谷駅前の銅像の除幕式。昭和11年の国定教科書、尋常小学校 修身巻の二に掲載された。ハチ公は昭和10年3月8日に死去。

1933年(昭和8年) 東京ワイヤードフォックステリア倶楽部設立。

関東畜犬商組合設立。
ドッグショウの開催が盛んになる。ドッグショウは犬を小屋や桟敷の上に乗せ、審査員が見て回る方式。
愛犬誌「犬の研究」創刊。

これを契機に多くの犬の雑誌、出版物が刊行された。本誌は太平洋戦争中、1943年、昭和18年に休刊。再刊は1951年、昭和26年。
3月 日本、ドイツが国際連盟脱退。

1933年(昭和8年) 名古屋に中部日本テリア倶楽部、大阪には日本テリア連盟、札幌に北海道テリア倶楽部設立。
1934年(昭和9年) 紀州犬、甲斐犬が天然記念物の指定を受けた。

全日本猟犬倶楽部設立。
京都に京都日本テリア倶楽部、東京に日本テリア協会が組織された。

1935年(昭和10年) 東京で日本テリア研究会、神戸にも神戸日本テリア協会設立
1936年(昭和11年) 2月 2.26事件
1937年(昭和12年) 日中戦争が始まる。

四国犬、北海道犬、柴犬、越の犬が天然記念物の指定を受けた。

1938年(昭和13年) 4月 国家総動員法
1939年(昭和14年) 「動物文学」創刊。白日社

4月 映画法(内容の検閲)
9月 第二次世界大戦

1941年(昭和16年) 12月 太平洋戦争勃発。

猟犬・番犬・愛玩犬は不要不急の存在となり、ドッグショウなども開催が不可能になり、主催者であった関東畜犬商組合、中央畜犬協会は自然消滅。
戦争中は犬の毛皮が供出物資となったので、特に都市部からは犬の姿が消えた。

日本テリアが誕生したころ」より

世界の犬種大図鑑


  1. より:

    サニィくんのお父さん犬は日本テリアなんですね!?
    初めまして
    日本テリアを飼っております。
    サニィ君の子犬のワルツを堪能しました。今度我が家のちびも走らせてやりたいです。気持ち良さそうなところですねえ。

    ところで、サニィ君のお父さん犬のことをもう少し知りたいのですが。
    ご指摘の通り、まさに絶滅危惧種に等しい日本テリアの保存と普及を何とかしたいと思っているのですが、いかんせん交配相手を探すのも並大抵ではありません。
    サニィくんに日本テリアの骨格をきちんと伝えているお父さん犬に、是非会ってみたいのですが。よろしくお願いいたします。

  2. masato より:

    はじめまして、秋さん。
    コメントありがとうございます。
    秋さんは日本テリアのブリーダーをされているんですね。
    ブログを拝見させていただきました。
    赤ちゃんの写真がたくさんで可愛いですねー。

    ご要望の件なのですが、サニィのお父さん犬を飼われている方は、ブリーダーというわけではなく一般の方なんですね。
    そのため、交配を盛んに行っているわけではなく、一年ほど前にサニィの弟や妹が生まれた後に、去勢をしてしまったようなことを聞きました。。
    せっかくお問合せいただいたのに、力になれずすみませんm(__)m

  3. より:

    しつこくて申し訳ないのですが、ではサニィ君の弟妹ちゃん達のお母さん犬は日本テリアだったのでしょうか?
    もしそうだったら、、、と一途の望みをつないで再度伺わせて頂きました。
    今、同じまたは近い系統の組み合わせの犬達が台頭していまして、このままでは近親が進み過ぎてどうにもならなくなるため、少しでも血縁が遠い犬でと探しているところなんです。

    また、我が家と直接交配できなくても、他の方ができればそれだけでも血の多様性が生まれますので将来に希望が出て来ます。
    いかがでしょう???

  4. masato より:

    サニィの弟妹たちも、イタグレと日本テリアの子なんです。。すみません^^;
    お力になれるか分からないのですが、
    当方にミニピンのブリーダーをしている友人がおりまして、その人なら犬関係のネットワークが広いかと思うので、日本テリアのブリーダーさんを知らないか聞いてみますね。

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