久しぶりに、名古屋に遊びに行ってきました。おそらく、10年ぶりくらいのこと。
比較的、よく会う友達もいるのだけれど、今回はほんとうに久しぶりに会う友達が多くて嬉しかった。
会ってしまえば、意外とブランクは感じないもので、当時からそのまま繋がっているように話せるから、そこが嬉しい。
子供時代という、重要な期間を一緒に過ごしたというのは、それだけ特別なものなのかな。
当然だけれど、すっかりみんな大人に成長していて、母親や父親になっている友達もいるわけで。
子供嫌いだった友人が、子煩悩な父親になっていたり、結婚が遅いだろうと予想されていた女友だちが、既に三児の母になっていたりと、なんだかみんな素敵だった。
子供のころにとてもお世話になった、先生や友達のお母さんにも、少しだけれど会うことができたし(それも、お変わりなし!)、とても満足な旅だった。
みんなで食事をしているとき、「いろんなところにお母さんがいて、いいねえ」と言われたけれど、ほんとうにそうだな、と思う。
子どものころに、友達とお泊り会や、自然の中で遊びまくっといて良かった。この経験が、いまでも活きていると思う。
自分を育ててくれた人が、なん人もいて、それで、大人になった今も会えるって、とても心がほっとする。
そう考えると、ぼくもいまボーイスカウトのリーダーをやっているけれど、子どもたちにとっては、記憶の大きな部分を占めているのかもしれない。
ぼくが、それだけの存在になれているかは、分からないけれど。でも、子どもと接するっていうのは、重要なことでもあるかな。と、今になって思ってきたりもした。
というのも、このとき、友達が話していたことが、とても印象的だったからなのかもしれない。
昔は、子どもが嫌いだった友達が、子ども好きになった理由というのが、教育は継承していかなければいけない、ということに気が付いたからだそうだ。親から与えられたものは、自分だけのものではなくて、次の世代に渡していく責任があると。
自分が大人になるまでに、いろいろな人から、いろいろなものを与えられてきたわけだから、それを返さなければいけない。
上手い表現が見つからないのだけれど、みんな、何かしらバトンを受け取ったわけだから、次に繋いでいく、っていうリレー選手みたいなものかな。
何かしらの手段で、自分が得たものを次の世代に伝達していくということは必要だと思う。
最後に、友達が言っていた言葉に、とても感銘を受けてしまった。
「世の中って、精進する人としない人しかいないと思うんだよね」
良いこと言うね~。そのときそのときに、どう受け取って、どんな判断をしていくか。それが大事になってくる。大団円にまとめてみました。
今回遊びに行ったときは、精神的に疲れていた時期だったので、とてもみんなに助けられたのでした。
呼んでくれたYくん、泊めてくれたIくん、遊んでくれたみんなに感謝。
また次回、よろしくお願いします!