3.11の震災後、100億円の寄付や、自然エネルギー財団の設立と、なにかと目立っている孫正義さん。
同じく震災後に、ap bankという非営利団体を通して支援活動を続けているという、音楽家の小林武史さん。この二人が、これからのエネルギー問題について対談をするというので、東京国際フォーラムまで行ってみた。
現状で考えたら、原発をこれ以上増やすことは考えられないし、再生可能エネルギーにシフトしていくとは思うのだけれど、それを猛烈にアピールしまくっている孫正義さんが、どういった自然観をもって活動されているのか知りたかったのだけれど、今回のトークライブでは、再生可能エネルギーについてのコストの話を重点的にしておりました。
その点では、ちょっと残念ではあるけれど、小林武史さん率いるap bank賛同アーティストの、一青窈さんと、Salyuさんのライブが、何よりも素晴らしかったのでした。
なんやかんやとあれこれ喋ったり、言葉を駆使しているのが馬鹿らしくなってしまうほど、音楽の力、芸術の力にかかれば、言葉よりもよっぽど心を揺さぶられることがあるんだなと。初めて、音楽を聴いて泣いちゃった。意思をもったときの音楽が、どれほど力を持っているか、思い知らされてしまった。
人間が、ほかの動物と違うところは、感動できるイキモノということ。そして、その感動を自分が動くためのエネルギーに変換できるということ。
生きていくうえで、自分の感動をたいせつにしていかないといけない。音楽を通して伝えられると、骨の髄まで染みこむようだった。
エネルギーを正しい方向に向けましょう。
音楽ばっかりは、その場にいなければ伝わらないけれど、お三方のトーク内容を一部文字おこしをしたのでどうぞ。
新しい日本を創らないといけない――孫正義
僕は、ほんとうに3.11というのは、頭をぶん殴られたような気がしますね。人生観を変えさせられたということであります。
あの大きな地震と津波と、それに加えて福島の大事故があって、しばらく眠れない日々が続きました。
自分って、人間ってなんだろうって。会社ってなんなんだろう。本業ってなんなんだろう。人々の幸せってなんなんだろう。ということを、ほんとうに根底から考えさせられました。
嘆き悲しんで、政府に文句言って、東電に怒り狂って。それはみんな、日本国民だけではなくて、世界中の人々が、おそらくこの思いを共有しているのではないかと思うんですけど。しかし、ただ嘆き悲しんで批判するだけでは、事が前には進まない。解決に向かわない、と思うわけです。
そこで国難の克服に向けてということで、国民が解決策のビジョンを共有しなければいけない。
僕は坂本龍馬を一番尊敬し、愛してやまない憧れの人物ですが、なぜ一番尊敬しているかというと、坂本龍馬は事を成したと。事を成すために自分の人生を捧げた。つまり、明治維新を起こすためには、何をしなければいけないのか。その維新とは、何のためにあるのか。人々を幸せにする為に、人々が平等で、明るく笑って暮らせる世の中を、そういう国を創るために、そこからすべてを逆算して事を行ったというわけです。
僕が、この国難で思うのは、子供たちが学校の運動場で擦り傷をつくっても、心配せずに笑ってられる。思いきり深呼吸ができる。そういう、笑って安心して暮らせることです。
この失われていく自然。破壊されていく人々の生活。そこをなんとか、安心できて、それも一時的なものではなく、50年も100年も1000年も持つような、そういうエネルギーの仕組みを作らないといけない。
一時的に、電気代が何百円か高くなるの安くなるのと、経団連のお偉いさんが言っているみたいですが、僕に言わせれば、「たいがいにせい!」と。
電気代が5%や10%高くなると、日本の国力が下がってしまうだとか。それは一時的なことじゃないのかと。
50年や100年、人々が安心して暮らせる日本を取り戻さないと、新しい日本を創らないといけないと思うんです。
新たな豊かさを考えなければいけない――小林武史
とにかく僕らは はがゆい思いをしていたことがありまして、それは自然エネルギーが一向に推進しないということだったんです。
なぜ自然エネルギーが普及していかないのか。それは、電力会社による送電線の独占ということでした。
つまり、自然エネルギーを推進しようとしても、割り当てが決まっている。その割り当ても、電力会社の事情で決められる。
その事情というのは、この国のヴィジョンが、「原子力でいくのだよ」ということなんです。
そのこと自体に、我々国民はどこまで自覚があったかという思いが、僕のなかにはありました。
これは、いろいろなところでお話することですけど、飛行機に乗る、高速道路を車で運転する。すると、運が悪ければ、どこかで死んでしまうという覚悟は、1%か0.5%か分からないけれど、あると思います。
人の運命はいろいろだから、どこかで覚悟しているんですけども、この放射能のことは、覚悟のしようがないですよね。
ずっとこの先の世界の人たちに対して、我々はいったいどういうつもりで、これをやっていると言えるのか。
いずれ、1000年か1万年か分からないけど、完全にコントロールできるようになってから、そのときの世界の人たちが話し合って、世界投票でもして蓋を開けるまでは止めるべきなんだろうと、僕は思っています。
そして、この国の民主主義は機能していたのか。どうして、原子力がこの地震列島のなかで54基も作られたのか。多くの国民の声は、反映されているのか。もっというと、我々は声を挙げる気持ちを失っていたのではないか。そんなことも思っていました。
そして、ほんとうの豊かさとはなんなのか。今回も停電になったり、節電をしたり、東京の街も暗くなって、それはそのなかで良さを感じたり、新たな考え方を見出したりしはじめていると思うんです。
これを切欠に、新たな豊かさを考えていかなきゃいけないんじゃないか。
それぞれの人に合った豊かさ、と言ったほうが良いのかもしれませんけど。
上手く折り合いがつけられない――一青窈
実はですね、先ほど釜石市に訪れていて、なんでかっていうと、友人の光浦靖子さんに誘われて、岩手のほうに行ってきました。とある中学三年生の女の子から手紙を貰って、「芸人さんだと光浦さんが好きで、歌手だと一青窈さんが好き」という、非常にセンスの良い、中学三年生の子が会いたいと言ってくれて、それで行ってきました。歌ったあとにコントを披露し、音楽の授業とコントの授業をやってきました。
学校の脇に、レゴブロックみたいにゴム長靴とか、皆さんが使っていたであろう防災頭巾だとか、コンクリも車も学校に刺さっている感じで、どれもこれも波が一回もっていって、あとから押し戻した人工的なものだとは思うんですけど。
地盤が動くことも、地震が起こることも、大きな地球の営みからみたら、当たり前のことなんだなと思いながら、瓦礫の山を見つめていました。
そういうものを受け容れたり、柔軟に変化していくのも、自分も自然界の生きものとして、良いんじゃないかなと思いました。
だから、こんなふうに放射線とか見えないものに怯えながら、放射性廃棄物もなんとかなるだろうと思って、ずっとずっと後の子孫に残すとか、あとは専門家に任せちゃおうとか、そういうことじゃなくて、
周りが変わっていくことを期待するんじゃなくて、自分が変わらなきゃいけないんだと、3.11の後に思うようになりました。
代表曲に、ハナミズキという曲があって、これは人間の一生を、おおよそ100年くらいと捉えて、それだったら幸せというものは想像しうる、と思って書いた詞なんです。
だけれども、プルトニウムの半減期が2万4千年となると、ちょっと分からないというか、そこまでいっちゃうとイメージが上手くできないんですよね。
9.11のときにハナミズキを書いたんですけど、3.11のことになると、まだ整理がつかないうえに、そういう何万年先の、後世の人にゴミを押し付けてしまうことが、どうもなんか上手く折り合いがつけられなくて。
なので、自分が考えうることを責任をもって発していったり、活動していきたいなと思っています。